その後も片貝は気丈にこれまで通りの態度を崩さずに仕事に打ち込んでいた。ただ、ふとした瞬間に飯室と目が合うと、辛そうに目を逸らしたし、眩しいほどの明朗さは失われた。相変わらず安藤が相談にのってやっているようで、どこまでもこの先輩に甘えていることに飯室は申し訳なさを感じた。相手の気持ちを知っているのに何もなかった振りを続けることも思いがけないほど心が疲れて、飯室は週末が来るとホッとするようになっていた。
 ある土曜の午後、飯室は縁側でぼんやりとしていた。義母の芙美は、今では趣味になった薔薇の手入れを終えて、手を拭きながら縁側にいる飯室に声をかけた。
「圭ちゃん、何かおやつ食べる?」
「ん、いい」
「お茶は?」
「もらおっかな」
 飯室はサンダルを履いて、薔薇の庭まで歩いていった。四季咲きの薔薇がもうすぐ二度目の見頃を迎えようとしていた。庭は義母の手入れの甲斐あって、最後に魁がここに来た5月よりもさらに成熟し美しくなっていた。つる薔薇はアーチのてっぺんまでは届いていなかったが、あでやかな門となって庭の入り口を彩っていた。レンガを敷いた小径もいい色に落ち着き、見頃になったらお友達とここでお茶をするんだと義母が張り切っていた。
―――この庭を魁さんと一緒に見たかったなあ。
未練にすぎると知ってはいても、飯室の心はその思いへと流れていった。どこかできりを付けないといけないのは分かっていた。
―――拓人と、つき合ってみようか。
このままでは何も始まらないのではないか、行動に心がついていくことだってあるのではないか、そんな風に思おうとして、飯室は美しすぎる薔薇達から目を逸らした。
 飯室が縁側に戻ってくると、既にお茶が用意されていた。煎餅の入った菓子鉢を手に戻った義母が、和室に座ると話しかけてきた。
「圭ちゃん、夏から元気ないね。何かあった?」
「ん?何もないよ。夏ばてかな」
菓子鉢をおいた義母が言った。
「あのね。お母さん、圭ちゃんに話があるの。大事な話」
聞いたこともないほど固い声に驚いて、飯室は振り返った。声と同じく強張った顔で、義母の芙美が正座していた。
「どしたの?改まって」
「これを見てもらいたいの」
義母が畳の上に置いたのは、たくさんの手紙の束だった。
「これは…?」
「圭ちゃんのお母さんからの手紙。圭ちゃんを生んだお母さんからの」
飯室は驚いていた。音信不通だと聞かされていた実母の手紙。分厚い束は奥へ行くほど古びていた。一番後ろの手紙はビリビリに裂けたものをテープで貼り合わされていた。
「圭ちゃん、ごめんね。お父さんがどうしても圭太に見せるなって言うものだから、今まで渡せなくてごめんね。それが私が持っている一番古い手紙。お父さんが破いちゃって。それからはお父さんに見られないうちに隠すようにして」
義母は涙ぐんでいた。驚きのまま手紙を見ると、破れた手紙の宛先は、『飯室圭太様』となっていた。
 母の字だった。母と別れたのは小学二年生、7歳の時だったが、この字を見間違うはずがない。しかし、義母の芙美が飯室家に嫁いできたのはそれから二年後。返事の返って来ない手紙を母が出し続けていたというのだろうか?

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